「私は恵まれている」と思えば、“寄付する” “与える” 価値観になります。
一方、「私には、〇〇が足りない…」と思い込めば、 “いただきます” な考え方になり、“援助を受ける側” となります。
だからして「恵まれている」と感じる人が、「助けてもらいたい」と望んだところ、上手くいかないことがあるのです。
また、「私にはあらゆることが、足りない…」と感じる人が、一生懸命誰かを助けようとしても、力不足を感じることでしょう。
>> その場合、自分自身に満たされている、何かに意識をフォーカスさせる必要があります。
「奪われた…」「他の人ばかりが、得している…」と感じる場合。何かしらを奪い、独り占めしたくなります。
一方「奪ってしまった…」と思えば、誰かに何かを譲ります。
ところで、着るもの(綿、麻、絹など)、食べ物(穀物など)アクセサリー(鉱物など)、プラスチック製品(石油)はすべて、自然界から与えられています。
それらの恩恵を受け、私たちは生活しています。
聖書にあるように「食べたい!」と、リンゴの木から果実をもぎとるのが、人間のサガなのかもしれません。
きっと、あらゆる “人間の創造性” は、「欲しい」と感じるところから、生まれるのでしょう。